エコビレッジで暮らして学んだ「人とのかかわり方」

私、トシコがエコビレッジサイハテで暮らして
3か月が経ちました。

「村」というコミュニティーで
日々生活していくことで
時間・空間を共有するメンバーと
「どう関係を築いていくか」を
トライ&エラーしながら学んでいます。

住民という固定されたメンバーと
サイハテに訪れるゲストやボランティアスタッフという
流動するメンバーと
コミュニケーションをとるにあたって
トシコが感じたことをまとめました。

「ありがとう」と感謝の気持ちを表現すること

相手に対して感謝の気持ちがわいたときに
言葉にして「ありがとう」を伝えたり、

「ありがとう」の気持ちを
モノにして手渡したり、

気持ちを伝えるためには
表現することがとても大切だと実感しました。

村で暮らしていると
ついつい当たり前になってしまうこともたくさんあります。

共有スペースが掃除されている
採れたて卵が冷蔵庫に毎日ある
満杯になったゴミ袋が取り換えられている
洗い終わった食器が食器棚にしまってある
玄関の靴が整理されている

「誰かがやってくれていること」で
私の毎日は成り立っているんだ、と実感しました。

共有スペースで気持ちよく作業できること
毎日卵を食べられること
何も考えずゴミ箱にゴミを捨てられること
食事の用意がしやすいこと
楽に靴を履いて外に出られること

誰がやってくれたのか分からないときもあります。

だけど「ありがたい」と
心に湧きあがった感情は
表現しない限りやってくれた人へ
伝えることはできません。

だから私は
誰がやってくれたか分かるときはもちろんのこと、
分からないときも
「○○してくれた人、ありがとう」と
言葉で伝えることに決めました。

そして
やってくれた人への感謝の気持ちも込めて
「次は私がやろう!」と
行動で表現することに決めました。

「ごめんなさい」は自分のためだった

知らず知らずのうちに
自分の言動で相手を傷つけてしまったことや
良かれと思ってしたこと、
分かっているのに見て見ぬふりをしたこと

村で暮らすことは
個人の生活の集まりではなく
住民同士が手を取り合って
助け合い、支えあいながら生活していくことです。

共有の道具を無くしたり壊してしまったとき、
黙っていれば責任から逃れることはできます。

でもそれに対して
自分の心に何か引っかかりが生まれます。

(本当は自分が無くしてしまった…)
(自分が壊したのに、言いづらい…そっとしておこう…)

迷惑をかけた人に対して
なんかぎこちない態度になってしまう、
気持ちよく会話ができない。

心の引っかかりは取り除かない限り
のどにつかえた魚の骨のように
チクチク自分を痛めてしまいます。

「ごめんなさい」

なんて反応されるか怖くて
少し勇気がいるかもしれない。

でもその一言で
自分の心の引っかかりがとれます。

口にして伝えることで
自分を「ごめん」=「許す」ことになると思いました。

「自分事化」すること

私は現在
シェアハウスで共同生活をしています。

毎日の食事や
使っている場所の掃除など
共に過ごすメンバーで協力することだらけです。

例えば食事について。

私は今まで料理に関して
何人分もの料理を自分で調理したり、
誰かに指示を出したりしたことがありませんでした。

料理に慣れているメンバーの一人に任せて
自分は受け身、指示待ちでいました。

そのメンバーの本音を聞くことで
今まで受け身だった自分の態度に気づきました。

自分ができる簡単なことから
率先して準備にあたるように実践してみました。

そうすることで
食事の準備がめちゃくちゃ楽しくなりました。

自分がつくったもので人が笑顔になったときと
畑でとれたもの・冷蔵庫にあまっているものを
工夫して上手く調理できたとき
料理って楽しいな、と思いました。

自分事化する、というと
「自分がやることが増える」と思えてしまいますが
それよりも
「自分でできることが増える」ことだと思いました。

「誰かがやってくれるだろう」と待っていたことの
その「誰か」って
もしかしたら自分なのかもしれないですね。

トシコ

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