英語が公用語の村 Village Byron Bay(ビレッジ・バイロンベイ)

自己紹介

初めまして、株式会社Ekklesia代表のノアです。

私は20代で事業を始めたのですが、起業のきっかけとなったのは、随分昔に起きた「最愛の母親が自殺する」という出来事でした。

大まかに話すと、彼女が亡くなったことで私の心は完全に崩壊。

そこから重度の鬱病を患うようになり、自殺未遂を繰り返す日々を過ごしていたところ、当時暮らしていたオーストラリアのバイロンベイという町で出逢った1人のスペイン人の女の子が、私の人生を大きく変えるきっかけになったんです。

その子も、大切な家族を自殺で亡くした経験がある子だったのだけれど・・。それまで、自分と同じ経験を持つ人と出逢ったことがなかった私は、彼女とお互いの痛みを共有することで「こんな想いを抱えながら生きているのは、私だけじゃないんだなぁ」と思うことができて、すごく救われたんですね。生まれて初めて、自分の痛みを理解してくれる人に出逢ったことで、何年も苦しんできた鬱病が一瞬で吹き飛ぶ、強烈なパラダイムシフトを体験しました。

その時、彼女と交わした会話が英語だったことから、「英語ってすごい。自分が生まれ育った国では、自分のことをわかってくれる人に出逢うことができなかったけれど・・。遠い異国の地で、自分が訪れたこともないスペインという国で生まれ育った人の中に、自分を理解してくれる人がいたんだなぁ」と、彼女との会話を可能にしてくれた英語という言語の存在に心から感謝したのを、今でも鮮明に覚えています。

そんな自分自身の体験から、「英語を身につけることで、これまでの人生では得ることのなかった新しい出逢いを得られるようになって・・。それらの出逢いを通じて、たとえ今は心が疲れていたとしても、死にたいと思っていたとしても、心が元気になるためのきっかけを見つけることができるんじゃないか。私が、あのスペイン人の女の子に救われたみたいに」と思い、そこから居住地を東京に移し、数々のドラマを経て、2013年に東京の浅草に「英語が公用語のカフェバー Cafe Byron Bay」をオープン。

お店自体は、コロナの影響もあって2020年7月で閉店し、現在は私が代表を務める株式会社Ekklesia(エクレシア)を母体に「英語が公用語のコミュニティ Global Community Byron Bay(グローバルコミュニティ バイロンベイ」というオンラインサロンはじめ、英語を主軸とした様々なプロジェクトを展開しています。

 

コミュニティを創ることを決めた理由

もともと、「人の心が元気になるために、きっと英語が役に立つはずだ」という想いで事業を始めたのもあって、表向きは英会話のお店だったものの、私のフォーカスは常に「人の心が元気になるためのお手伝いをする」ということでした。

お店を創る場所を東京に決めたのは、この街には「精神的に疲れている人」や「孤独を感じながら生きている人」の数が、ものすごく多いことを知っていたから。自殺者の数(遺書を残している人のみ)は、例年20,000人〜30,000人前後と世界でもトップクラス。そんな自殺大国・日本の中心でもある東京に必要なのは、「人と人が出逢い、安心して過ごすことのできる場所=コミュニティの存在」だと思ったんです。

私の中にあった最優先事項は、遊びに来てくれた人たちに対して「英語を身につけてもらうこと」以上に「心が元気になる場所を提供すること=コミュニティを創ること」だったので、英会話スクールでもなく、いわゆる英会話カフェでもなく、日本の人も外国の人も自由に出入りできる「英語が公用語の飲食店」というコンセプトのもと、お店を設計しました。 

そんな想いでオープンしたお店は、浅草という土地柄もあり、日本の人たちと外国人観光客がごちゃ混ぜになって最高の時間を過ごす、素晴らしい空間に成長。 

あの場所で出逢い、結婚に至った国際カップルが何組もいたり・・。お店で出逢った日本の人たちと外国の人たちが、家族ぐるみで付き合うレベルの深い友情を築いたりと、数えきれないほどの奇跡を見せてもらうことができました。お店がなくなった今でも、オンラインサロンという形を通してこの「英語が公用語のコミュニティ」は続いていて・・。コミュニティの存続のために協力してくれているみんなには、感謝してもしきれません。

 

英語が公用語の村 ビレッジ・バイロンベイの構想のきっかけ

7年間に渡ってCafe Byron Bayを運営する中で、私自身も毎晩のように現場に立ち、遊びに来てくれた人たちといろんな話をしてきました。 

そうやって彼らと時間を共にする中で、いつしか「家庭や職場以外で、安心できる居場所=第3のコミュニティ」に属することが、人の幸福度に大きな影響を与えることを確信するようになって・・。というのも、家族との関係が上手くいっていなかったり、職場の人間関係で悩むことがあっても、みんなCafe Byron Bayで時間を過ごしている時は、本当に楽しそうにしていたから。けれど、そんな毎日の中で「コミュニティの大切さ」こそ実感していたものの、当時の私には「村をつくる計画」なんてカケラもなかったんですね。

考えもしていなかった「英語が公用語の村 Village Byron Bay(ビレッジ・バイロンベイ)」の構想が自分の中で始まったのは、お店を始めてから数年が経ったある晩の出来事がきっかけ。

その夜、いつも通りお店に立ちながら、当時よく遊びに来てくれていた40代のある女性と話していた時・・。いつになく元気がない彼女に、「何かあった?」と声をかけたら、「最近、将来のことを考えるようになって、そしたら不安になっちゃって」という返事が返ってきて。

「私はもう40代で、今だに独身でしょ。子どももいないし、このまま結婚しなかったら、老後を独りで生きていかなきゃいけない。その未来を想像したら、このまま死ぬまでずっと独りなんだと思ったら、すごく辛くなって・・」という彼女の話を聴きながら、ものすごい衝撃を受けて。そんな何十年も先のことを、「実際に起きるかどうかもわからない、ものすごく先の未来のことが心配で、今この瞬間に不安を抱えながら生きている人がいるんだ」と、本当に驚いたんです。

当時、お店に遊びに来てくれていた人たちの平均年齢は30代後半〜40代半ばくらいで、独身の方も多かったので「彼女と同じようなことを考えている人が、他にもいるのかな」と思い、他の人たちにも聞いてみたところ・・。男女問わず、彼女と同じ理由で不安を抱え、30代や40代という時間を苦しみながら生きている人たちが何人もいたんです。

経営者や起業家をはじめ、ミッションやビジョンのために生きている人たちに囲まれ、彼らとばかり時間を過ごしていると「日本で暮らす、大半の人たちの感覚」がわからなくなるものだと痛感した出来事だった。

幸い、私はこの「英語が公用語の飲食店」という空間を通して、普段の生活では出逢うことのない、様々な人たちとの御縁をいただいていたので・・。そのおかげで「現代の日本で暮らす、多くの大人が抱えているリアル」を垣間見ることができて、彼らからたくさんのことを学ばせてもらいました。

そんな彼らが、先の未来に感じている不安を知った時にまず思ったのは、「老後に独りにならずに済む場所さえあれば、今抱えている不安が解消されるのかな」ということ。「英語が公用語の村 ビレッジ・バイロンベイ」の構想が始まるきっかけになったのは、そんな何気ない会話だったんですね。別に、もとから村がやりたかったわけではなくて、ただ彼らのような人たちに「最悪、どうしようもなくなったらビレッジ・バイロンベイがあるし」と思ってもらうことで、将来に対する不安を少しでも和らげ、今この瞬間をもっと楽しんで生きてもらえたらという想いがきっかけでした。

その後、「老後をみんなで暮らすのなら、住居がたくさん必要になるな」「外からも人が遊びに来れるように、飲食店もあった方がいいな」「遊びに来る人がいるなら、彼らが泊まれる宿泊施設もあった方いいな」と想像を膨らませるうちに、「この規模でやるなら、すべてを同じ敷地内につくって、村にしてしまうのがいいな」という結論に至って・・

その上で、私がやるからにはやっぱり「英語」がベースにあるものがいいなぁと、日本だけではなく、世界中からいろんな人が集まる場所にした方が面白いよなぁということで、「英語が公用語の村」というコンセプトが生まれたんです。

 

ビレッジ・バイロンベイの展望

村の構想を広げる中で、私自身も年齢を重ね、気づけば親戚や友達をはじめとする大切な人たちの間に、何人も子どもが生まれて・・。実際に、彼らの子どもたちに逢ったり、彼らから送られてきた写真を眺めるうちに、「大人たちのためだけじゃなくて、今の子どもたちと、これから先の未来に生まれてくる子どもたちのために貢献がしたいな」と考えるようになりました。

もともと、オーストラリアのバイロンベイという自然が全開な場所で暮らしていたこともあって、私たち人間が地球に生かされていること、地球と共生していく必要があることを知っていたので、お店をやっていた当時からメニューにはオーガニックや無農薬の食材を使ったり、海にダメージを与えない洗剤を使ったりと、環境を守るための様々な取り組みはしていたんですね。

その流れで、自分たちがやる村にエコビレッジの要素を取り入れ、地球環境を守るための活動をすることで、次世代の子どもたちにとって住みやすい環境を残すことができたらと思ったのだけれど・・。子どもたちのために何かをすると真剣に考えた時、それだけではちっとも足りないというか、「小さな村1つがやる程度の環境では、子どもたちに対してそこまでの貢献にはならないんじゃないか」と、自分の中に違和感があって。

その違和感から「もっと、子どもたちに対して直接的な貢献ができないか」と模索していたある日、たまたま読み直していた聖書に「孤児と未亡人を守ること」という教えが書かれているのを見つけて・・。もともと、私の母親がクリスチャンだったこともあり「聖書の教えに従っていれば、とりあえず大丈夫」という考えが自分の中にもあったので、何の疑問もなく「聖書にそう書かれているのだから、村に孤児院をつくって、親がいない子どもたちを受け入れよう。日本だけでなく、世界中から孤児を集めて、村で暮らす大人たちみんなで、コミュニティ全体で面倒を見ていくことができたら最高じゃん」と、「英語が公用語の孤児院」を創ることを決意。現在は、同じように孤児院を運営するために動いているメンターと共に、それを実現するための準備を進めています。

私自身を含め、周りを見ていても「子どもが親から受ける影響」というのは、本当に計り知れないもので・・。私に関して言えば、人生のすべてが「母親の影響から成り立っている」と言っても、過言ではないほど。母親に愛された時の幸せな記憶や、彼女が病気になってからの悲しい記憶が、今でも私に大きな影響を与えていて。

「親という存在が、人の一生に及ぼす影響の大きさ」を誰よりも知っているからこそ、「孤児院をつくって終わり」ではなく、そこで暮らす子どもたちの「里親」を見つけるところまでやるのが理想ですね。仮に里親が見つからなかったとしても、村の中で「親と呼べるような存在」を得ることができたら、その子どもたちの人生は大きく変わると思うんです。

村の構想を始めるきっかけとなった、「独りで生きていくことに不安を抱えている大人たち」と、いろんな事情から「独りになった子どもたち」が集まって・・。誰1人として孤独を感じることなく、みんなで暮らす「英語が公用語の村」。綺麗ごとだって、そんなの夢物語だって笑われるかもしれないけれど、周りの人たちの力を借りることで実現は可能だと思うんです。

血が繋がっているとかいないとか、日本人とか外国人とか関係なく、みんなごちゃ混ぜになって・・。この村がひとつのモデルになって、行く行くは世界中のいろんな国に同じような場所ができて、最終的に「この地球全体が、ひとつの大きなコミュニティ」として機能するようになったら最高だと思っています。英語が公用語の村だからこそ、成し遂げることのできるビジョンですね。

そのためにも、まずはこの日本という小さな島国でその土台を創ることが、今回の人生における私の役割。現在運営しているオンラインサロンをはじめ、私がやっている全ての活動を通して世界規模のコミュニティを築き、最終的に「英語が公用語の村 ビレッジ・バイロンベイ」の建設を実現させます。

村自体は、億単位のお金が動くプロジェクトだったり、私自身も自分の子育てに集中したいという想いもあって、今すぐに始動というわけにはいかないけれど・・。自分の中で「村を建設する期限」は決めているので、今はまず目の前にある必要なことをいろいろやっていこう、という感じです。

活動報告など、いろんなことはブログやFacebookにアップしていくので、興味がある方がいたらそちらもチェックしてもらえたらと思います。

Facebook Byron Bay

「英語×幸せ」をテーマに事業を展開する 株式会社Ekklesia代表 Noaのブログ

今後の展開を、お楽しみに。

Noah

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA