エコビレッジは避難所になる!?@サイハテ

私トシコがサイハテで暮らし始めて
4か月目をむかえました。

ここで暮らしていて
ふと、頭をよぎったのが
「エコビレッジって避難所になるんじゃない…!?」
ということ。

サイハテで週のほとんどの時間を過ごし
サイハテの村の中で人と出会い交流し
サイハテで採れた野菜をいただき
サイハテでくみ上げている地下水を使い…

自分のライフスタイルが
村の中でほぼ完結していることに
気づいた時でもありました。

今までの自分の生活とは
かけはなれた毎日。

テレビも無い
満員電車での通勤も無い
夜まで開いてる店も無い

無い、からこそ見えた
エコビレッジの可能性。

サイハテ発起人工藤シンクに
その可能性を伺ってみました。

開村は東日本大震災があった2011年

東日本大震災があった2011年の
11月11日開村したエコビレッジサイハテ。
2020年で開村から9年経ちました。

その当時を振り返り、工藤シンクが語るには
「持続可能なところをつくる」ことを
長い間思い続けていたとのこと。

大都会東京で寝る間も惜しんで働いた30代。

自らを取り巻く社会に対して抱いた疑問が
ここサイハテの開村に繋がったと。

震災発生とサイハテ開村については
特に所以も無く
ちょうどそうだった、タイミングとのこと。
(何かしら必然なタイミングに私は感じました!)

東日本大震災発生当時、中学3年だった私。
自然の猛威で破壊されていく建物
失われたはかない命
当たり前の日常が一瞬にして消え去ること
そこになにか「脆さ」を感じました。

エコビレッジは「救命艇」だ!

「持続可能なところ」というのは
つまりどういったところなのでしょうか。

現在、世界の大きな流れである
資本主義。

そして大量生産・消費、競争社会。

この「資本主義&競争社会」だって
いつか破綻、ストップするときが来るかもしれません。

今まで当たり前だった
経済活動が成り立たなくなるかもしれません。

そうなったとき多くの人々が
「そんなんじゃ食えない!」
「生きていられない!」
というかもしれません。

エコビレッジサイハテが目指しているのは
世界の大きな流れがストップしたときの
「救命艇」になること。

資本主義&競争社会がストップしても
問題なく、日々を釈然と送ることができる。

沈みゆく大きな船から脱出し
生き延びるための救命艇的存在が
エコビレッジだ、とのこと。

なんだか「ノアの方舟」の話を
聞いているような感覚でした。

発起人が決めたサイハテの3つのコト

工藤シンクがサイハテ開村当時から謳っていることを
教えてもらいました。

1)エコビレッジであること

地球環境に配慮した暮らし
住民同士が支えあう暮らし

サイハテがエコビレッジであることは
今までもこれからも変わらないこと。

2)ルールもリーダーもいない「お好きにどうぞ」

誰かが誰かの上に立つような
ヒエラルキーはこの村にはありません。

「お好きに」した行為の結果は
自らが刈り取る。

3)電気・水道・ガス・政治・経済がストップしても笑っていられる

生活に必要な電気、水道、ガスがとまっても
笑っていられますか?

もし、
都会で一人暮らしでそうなってしまったときは
それこそ「生きられない」状況だ、と思いました。

豪雨に見舞われた2020年7月頃、
サイハテの電気、水道はとまってしまったそうです。

不便を強いられる環境のなか、
新しいライフスタイルを確立したり
(トイレを使わないとか)
住民同士助け合ったりして暮らす日々。

蛇口をひねっただけで水が出てきたときには
歓喜とともに
「さみしさ」を感じたそう。

過酷だと思った状況が
助け合いで「笑っていられる」状況に変わり
それが「日常」になって。

ライフラインや政治・経済がストップしても
「笑っていられる」暮らしは
だからこそ可能だと話を聞いて
改めて思いました。

1人じゃない、
分かち合う仲間がいる心強さ。

ストップしても
「大丈夫」な村じゃなくて
「笑っていられる」こと。

設備も貯えも潤沢に備えてる、
「大丈夫」にしておくのではなく

何が起こるか分からないけど
みんなと暮らしていたら
すべて笑って受け止められる

そんな暮らしがサイハテでは現実になっています。

エコビレッジは
当たり前の日常が無くなっても流されない
沢山の人が乗っても沈まない
ワイワイお祭りしている船のようなイメージが湧きました。

サイハテはいつでも乗客ウェルカムです♪

トシコ

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